Magicpot
質と量
Categories: 社長日記

メジャーとはりあうためには
基本的に「質」の論議となり、その考え方にはけっこう幅があったりする。

一番、シンプルなのは
メジャーがやらない、やれない「質」を実現すること。
メジャーにはメジャーがゆえに意識しないといけなくなる「格」が存在し、
それは自由創作においては守勢になる。
だから、自由な発想であれば「はりあえる」という論法になるのだが、
それはそれで実際やってみると容易ではない。

新しいアイデアは刻々と食いつぶされている。
食いつぶされているというのは世に出たものばかりではなく
採用されないものもあって、それは牢獄につながれる。

日々、先達の後に続く者がシンプルなアイデアをかいくぐって
新しいアイデアを発見、発明しようとあがく様は、
フロンティアを目指すがゆえの渇望に満ちている。

だが中途半端なメジャーの真似は、かえって効率を下げるだけだとも思う。

新しいハードやサービスが登場したとき
目の前のフィールドが限りなく可能性が広くなると感じることはあるが
それは一時的なもので、結局は元の土俵にもどってくることになる。

新しいことの探求

ニッチ探求

混同しないようにしておくと考え方が整理しやすくなるので、メモ。

質の話。
職種的にシナリオに関わることが多い自分の場合、
「質」として「演出」というものがクローズアップされる。

演出といっても
・お話の1場面の演出
・ストーリーの流れの演出
・ゲームの全体進行の演出、

と色々あるわけだが
個人的にゲーム演出は重要視していない。

決して軽視してるわけではなく、
演出というのは気軽に施せるもんじゃないと、今までのゲーム現場で学んだからだったりする。
要するにそれなりの工数がかかるのだ。

「はりあおう」とするときに
それぞれの工数は、それぞれが損益分岐点となりえる。

今までは
創造するものを「作品」という観点で捉えると、質は質、量は量であり
創造するものを「製品」という観点で捉えると、量も質であると考えてきたが、

昨晩のNHK漫勉で五十嵐大介氏の仕事風景を見て
ちょっと考えを改めようと思っている。

そもそも質と量を分けることがナンセンスなのかもしれない、と納得してしまった。

であれば「はりあえる」ための手掛かりはどこに求めればいいのだろう?

自分一人だけなら何となくでも試行錯誤しながら進めていけるので悩みはしないのだが、
集団創作は問題点を仲間に明確に伝達しないと【良い物】としてまとめるのは困難だ。

ここまで書いてみて
何が問題なのか具体的にイメージできてきたが
なかなかの難題だな。

「演出」を手厚くしないときに期待する施策は、ユーザーの想像力の喚起に力を注ぐこと。
注意すべきは、発起の論点はゲーム性は考えず、ゲームの中でのシナリオの立ち位置に絞ること。
提示したい形を明確にしてシナリオの成立だけを定めてしまうのが早道だとは思う。

話は少し変わるが、個人的にゲームシナリオライターは専門の特殊職であるべきだと考えている。
小説やマンガやアニメやドラマや映画のように三次元までの考え方で料理出来ないのがゲームだ。
物量で押す小説やマンガやアニメやドラマや映画のようなゲームはあるが、それをここでは語らないし、語れない。
抽象的な表現になってしまうが、四次元、五次元、そして異次元的な前提に立脚しないと
ゲームという舞台の可能性を充たしたゲームシナリオは書けないと思っている。
というか、ゲームシナリオでしか出来ないことが確実に存在し、できるならそれを追及したいということだ。

こんな風に言うと
シナリオ分岐とかサブシナリオとか、そういうものをイメージしがちだが
それとはちょっと違う。

延長線上に重厚なオープンワールドがある話ではない。
ゲームシナリオを活かすための、ゲームシステムを構築しておく必要がある。
論点はここでゲーム性まで拡大し、シナリオとシステムが互いに活かし合う仕様を探ることになる。
当たり前だと怒られそうだが、その当たり前が実現できないプロジェクトも実際多いのだ。

だったら最初からゲーム性も一緒に考えれば効率いいだろ、と思うかもしれないが
ゲーム性というのは、ただそれだけで一人歩きが出来てしまう強力な存在だ。

「ストーリーは必要だけど『亀を踏み潰すのが楽しい』からやるんだろ?」

なるほど、そりゃそうだ。
ゲームシナリオを創造したり体感することで泣き笑いしても、それだけは否定できない。
だって、所詮はゲームだもの。
妄想力が高ければ将棋で生き死にを繰り返す駒たちに涙を流せるかもしれないが
所詮は敵の王様をGETするゲームである。

だが、そもそもが大それたゲームシステムを構築するのは、
残念ながら「はりあえる」ための施策として現実的に採用しずらい手法となるので
ここはどちらからともなく歩みよってコスパが良いシナリオシステムを設計できなければ、
ユーザーの想像力に頼ることなど、夢のまた夢となる。

求めるのは、仕掛けだ。

コスパが良いということは、コストが低いということではない。
力を入れるべきところは一点集中で注力する。

演出に手をぬくわけでもない。
システムに演出を練り込む感覚。
そんな土台にゲームならではのゲームシナリオを構築する。

作業の流れとして整理すると、こんな感じか。

1.シナリオの仕組みをなんとなく考える
2.世界設定をなんとなく考える
3.シナリオや世界設定が活きる仕組みを考える
4.シナリオ、世界設定を仕組みに合わせて演出システムを考えながら調整する
5.仕組みに演出システムを練り込む
6.シナリオ大量生産(この時点で演出は終わっていること)

1.は、時間かけない。堅苦しく考えない。あとで変えればいい、ぐらいの気持ちで
   My知識の中から5分でなにかをチョイスすればいい。
2.は、イメージを膨らませる作業。矛盾だらけでも問題ない。いいことばかり妄想すればいい。
   パッケージツアーでは、この手法は成立しない。
3.は、シナリオが何によって融合(または混合)させるのか前提ぐらいを考えればいい。
4.は、どれぐらいの演出があれば笑顔になれそうか想像してみればいい。
   どれぐらいで飽きそうかを想像しみればいい。
5.は、小さくていいので具体例を3つぐらい用意して仕組みが成り立ちそうか考える。
   細かいところでダメそうなら力押しできそうか理論的に考える。
6.は、大量に作るにはどうすれば効率が良いか試行錯誤する。
   非効率なら1~5どこに戻るべきか問題点を洗い出す。

こんな感じがコツになりそうと今思った。

言うは易しで現実は成立しないっちゅうもんでもあるのだが
たたボーっと考えるじゃなくて反復することで少しずつ形を創っていく。
言い方を変えると、コスパ良く作るためには後半に作業レベルが拡大しないことが重要と思う。

最後はキュっとしめる、だ。

作品の山場と製品の山場が重なり苦労は相乗的になってしまう。
面白いゲームを作るのは苦労するの当たり前と思っているが、ならば計画的に苦労したいと思う。
チームの苦労はスタッフの心情も含めて全て拾い上げらればならないし
そうしないとプロジェクトにとっても不幸である。それは、とてつもなく残念なことだ。

だからこそシステム&シナリオが関係するスタッフ全員を
取り込んでいく仕組みを構築するのが望ましい。そしてそれが質と量につながるだろう。

・なにをやりたいのか(モチベーション向上)
・なにが得意なのか?(ポテンシャルをひきだす)
・なにを活用すべきか?(フットワーク軽く)

そこらをきっちり把握して、調整し、的確な採用をできれば、意思が統合された量的施策で
「格」に縛られすぎたメジャーぐらいには肉薄できるだろう。

我ながら、なかなかの唯我独尊な境地だが、
そのハードルを超えられたとしても
そのあとは「質」の話に戻ってくるわけだ。

やっぱ大変だ。